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2007年11月14日水曜日

英語学習について

どうやらゆとり教育を見直し、学習指導要綱も改定するようである。これと同時に英語教育についても話題に上がっている。私は小学生から英語を教えることが良いかどうかはよく分からないが、国語や歴史は日本人としてしっかり教育するべきだと思っている。しかし、数学、物理、化学については教科書、授業ともすべて英語にするのが良いと考えている(もちろん大学入試もこれらの科目に関してはすべて英語)。

 現在ここ香港では英語が共通語であるし、各種スタンダードも英語である。日常のコミュニケーションには差し支えないが、専門的な話となると話すのはおろか聞きとりも怪しい。それに契約に関することや技術的な専門用語は通訳ではない我々技術者には難しすぎる。(だから西欧人に高い給料を払って彼らを雇わなければならず、経費を圧迫する。我が社だけか?)

 私の努力不足を言われればそれまでだが、外国で技術者として働く時に役に立つような英語教育を日本で受けた記憶は無い。教育の意義を一言で定義するのは難しいが、学校での勉強は、特に大学での勉強は社会人になってから役に立つものでなければならない。日本の企業が国際的競争力を維持するためにも理数科目の英語力向上は必要不可欠のはずである。しかしながら、日本では英語教育の時間を増やすと、日本語の勉強がおろそかになるといった短絡的な議論しか聞こえてこない。また、必要に迫られれば、本人が死ぬ気になって英語を勉強するものだという意見もあるだろう。ただし、技術者というものは育成に時間がかかる。それに加えて、契約書や技術的な内容、およびニュアンスを英語で正確に理解し、伝えたり、文書にするというのはTOEICで600点取るのとは次元が違う話である。英語教育は「今後の日本を支えていくために、どのような人材を育成する必要があるのか」という観点に立って考えるべきことだと思う。国際化、グローバル化とよく言うが、意味があいまいで、怪しいのである。

ちなみにここ香港では英語教育は小学校以前にはじまると聞いたことがある。そのわりには英語を話せない若者もたくさん居ると思うが。自分の子供に広東語を教えず、英語だけを教える親も珍しくは無いようである。これが良いかどうかは何ともいえない。

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